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第9番〜第16番札所

第9番札所 興福寺南円堂

◆参拝日    2016/9/18    (晴れ)

興福寺(こうふくじ)は、法相宗の大本山の寺院です。
藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であります。
その中で、 興福寺南円堂は、藤原北家の藤原冬嗣が、父内麻呂の追善のため、弘仁4年(813年)に創建した八角堂です。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

現存する興福寺南円堂は、寛政元年(1789年)の再建された建物です。
屋根を一重、本瓦葺とする八角円堂で、正面に拝所が付属されています。
1986年(昭和61年)12月20日 、重要文化財に指定されました。
南円堂は西国三十三所の九番札所として参詣人が絶えませんが、堂の扉は常時閉ざされており、開扉は10月17日の大般若経転読会という行事の日のみです。
堂内には本尊である不空羂索観音坐像のほか、四天王立像を安置しています。
「南円堂藤」は南都八景の一つで、毎年、美しい花を咲かせています。

◆国宝の本尊    (不空羂索観音像)

不空羂索観音像は運慶の父である康慶一門の作で、文治5年(1189年)に完成いたしました。
木造」坐像で高さ336センチの巨像です。
変化観音(へんげかんのん)の一つで、手に持つ羂索(けんさく)(網)で、人びとの願いを空しいものにしない誓願を持っています。
南円堂内には本尊である不空羂索観音像のほか、四天王立像(国宝)などが安置されています。
毎年10月17日に特別開扉されています。


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第10番札所 三室戸寺

◆参拝日    2016/9/18    (晴れ)

三室戸寺(みむろとじ) は、京都府宇治市にある寺院で山号は明星山、本尊は千手観音です。
本山修験宗の別格本山約1200年前に創建されたといわれる本山修験宗の別格本山です。
平安時代から広まった観音信仰の西国三十三ヶ所巡礼の十番札所として現在も多くの人が訪れています。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

所蔵の仏画や仏像には藤原時代のものが多く、霊宝殿、わが国で最も古い清涼寺式釈迦像として有名な釈迦如来立像などがあります。
五千坪の大庭園は枯山水・池泉・広庭からなり、五月のツツジ(二万株)・六月のアジサイ(一万株)・七月のハス・秋の紅葉など四季を通じて美しい花模様を楽しめます。
庭園は、枯山水と池泉回遊式になっています。
境内の鐘楼脇には源氏物語宇治十帖「浮舟」の古跡があります。


◆花の寺    (五千坪の大庭園)

四季折々に咲く花で有名で、一名「花の寺」・「あじさい寺」とも呼ばれています。
五千坪の大庭園に一万株のアジサイが杉木立の間に咲く様は、紫絵巻のようです。
ライトアップで照らし出されたアジサイは幻想的です。
ここ近年「ハ−ト」形の、めずらしいあじさいが咲き、話題になっています。
恋愛成就を叶えて頂ける観音様の御利益なのでしょうか。
秋は全山紅葉につつまれ、「三室戸寺の紅楓」と称され、平安時代西行法師は「暮はつる秋のかたみにしばしみん紅葉ちらす三室戸の山」と紅葉の美しさを歌っております。
五千坪の大庭園には、西洋アジサイ、顎あじさい、柏葉アジサイ、幻の紫陽花・七段花など50種類1万株ものあじさいが咲き乱れ、その景観は圧巻です。

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第11番札所 上醍醐准胝堂

◆参拝日    2009/2/11    (晴れ)

聖宝が如意輪堂とともに建立、西国三十三所観音霊場第十一番札所です。
1968年(昭和43年)に再建された准胝堂は2008年(平成20年)8月24日焼失いたしました。
再建までの間は西国札所は下醍醐の観音堂(大講堂)に仮に移されています。
右側の画像は焼失前の准胝堂(現存せず)です。

◆上醍醐

上醍醐[編集] 山頂に並ぶ開山堂と如意輪堂 西国三十三所第11番札所であり、西国一険しい札所として知られています。
上り口にはかつて女人結界があったことから、女人堂がおかれ、そこから険しい山あいに、平安時代のままに残る国宝の薬師堂、醍醐寺の鎮守神である清瀧権現拝殿、准胝堂(現存せず)、五大堂などが立ち並んでいます。
上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ているほか、醍醐山頂(標高450m)には、如意輪堂と開山堂とその間に白山大権現祠が並ぶ。山頂から笠取山に向かう途中に奥の院があります。

◆下醍醐

本尊の薬師如来像を安置する金堂、三宝院などを中心に、上醍醐とは対照的に絢爛な大伽藍があります。
応仁の乱でほぼ全焼し、その後も焼失・再建を繰り返してきましたが、護摩道場前に建つ五重塔は創建当時のまま現在に残っています。
また五重塔内部の壁画も国宝に指定されており、壁画中の空海像は同人の肖像として現存最古のものです。
右側の画像は准胝堂再建までの間、西国札所になっている下醍醐の観音堂(大講堂)です。

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第12番札所 正法寺

◆参拝日    2010/6/17    (曇り)

正法寺は、11番上醍醐の東方約4キロ、13番石山寺の南西約4キロ、滋賀と京都との府県境の一部をなす岩間山(標高443m)上に位置しています。
縁起によれば、元正天皇の病気平癒祈願に功のあった泰澄が養老6年(722年)、岩間山中の桂の大樹から千手陀羅尼を感得し、その桂の木で等身の千手観音像を刻んで、元正天皇の念持仏である金銅千手観音像をその胎内に納め祀ったのが当寺の初めとされています。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

静寂に包まれた境内には、日本一の桂の大樹群、芭蕉の池、雷神爪堀湧泉等があり、歴史と自然が共存しています。
東海自然歩道も通り、四季折々の自然が楽しめる山寺。ご本尊は、三重のお厨子に納められている御丈十五センチの千手観音で、"雷除け観音""汗かき観音""厄除け観音""ぼけ封じ観音"と呼ばれています。
雷が爪で掘った雷神爪堀湧泉は"不老長寿の水"と呼ばれ、健康長寿ぼけ封じを願う参拝者も多く訪れています。

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第13番札所 石山寺

◆参拝日    2016/9/18    (晴れ)

石山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にあります。
本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっています。
本尊は如意輪観音、開基は良弁です。
『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は、石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承があります。
「近江八景」の1つ「石山秋月」でも知られています。

◆本堂(国宝)   (紫式部の間)

紫式部が『源氏物語』の着想を得たのも石山寺とされています。
伝承では、寛弘元年(1004年)、紫式部が当寺に参篭した際、八月十五夜の名月の晩に、「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされ、石山寺本堂には「紫式部の間」が造られています。
『和泉式部日記』(十五段)では、「つれづれもなぐさめむとて、石山に詣でて」とあり、 和泉式部が敦道親王との関係が上手くいかず、むなしい気持を慰めるために寺に籠った様子が描かれています。

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第14番札所 園城寺

◆参拝日    2016/9/18    (晴れ)

園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗の総本山。
山号を「長等山(ながらさん)」と称します。
開基(創立者)は大友与多王、本尊は弥勒菩薩です。
日本三不動の一つである黄不動で著名な寺院です。
また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られています。
なお一般には「三井寺(みいでら)」として呼ばれています。

◆観音堂    (境内や行事など)

寺域の南側、琵琶湖を望む高台に位置する南院札所伽藍の中心堂宇。
西国三十三所観音霊場の第14番札所として知らています。
後三条天皇の病気平癒を祈願して延久4年(1072年)に西方の山上、華ノ谷に創建されました。
当初は聖願寺や正法寺という名前でありましたが、文明13年(1481年)に現在地に移されました。
貞享3年(1686年)に焼失し、現在の観音堂は元禄2年(1689年)に再建されたものです。

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第15番札所 今熊野観音寺

◆参拝日    2016/9/18    (晴れ)

観音寺(かんのんじ)は、京都市東山区泉涌寺山内にある真言宗泉涌寺派の寺院。
泉涌寺の塔頭のひとつで、今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)とも称されます。
山号は新那智山、本尊は十一面観音(秘仏)です。


◆本尊(秘仏)   (十一面観世音菩薩)

御本尊は大師が熊野権現より授かった一寸八分の観音像を体内仏として自ら彫刻された十一面観世音菩薩です。
後白河上皇は、当山を深く信仰されて新那智山と号し、今熊野観音寺と称されました。






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第16番札所 清水寺

◆参拝日    2008/6/10    (晴れ)

清水寺は山号を 音羽山 、宗派は 北法相宗 (1965年までは法相宗)で 本尊 は千手観音菩薩(秘仏)です。
山号は音羽山。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗っています。
西国三十三所第16番札所でもあります。
古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されています。

◆朝倉堂    (重要文化財)

朝倉堂は 拝観受付所と本堂を結ぶ廊下の北側にあります。
入母屋造、瓦葺きの五間堂です。
清水観音を篤く信仰した、越前の守護大名朝倉貞景の寄進した建物だったことから朝倉堂と称します。
現在の建物の内部には秘仏の千手観音、毘沙門天、地蔵菩薩の三尊のほか、西国三十三所の観音像を安置しています。
堂内は非公開です。

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