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阿波 (発心の道場)

第1番札所 霊山寺

◆参拝日    2017/5/12    (曇り)

高野山真言宗の寺院で四国八十八箇所霊場の第一番札所で釈迦如来が本尊です
江戸時代に入り庶民による霊場巡礼が盛んにり、四国を修行した僧である真念が「四国遍路道指南(しこくへんろみちしるべ)」を1687年に出版しました。
現存する書物の中で、各寺に札所番号を記したのはこの本が最も古いとされています。
当時大坂から四国へ渡るには淡路島を経由し鳴門から四国入りするルートがあり、鳴門の撫養(むや)の港に最も近い霊山寺を第一番札所としたと推測されています。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

境内東の本坊側駐車場にある発心の門をくぐると山門前に出て、山門を入ると橋があります。
まず橋の上では杖を突かないことを学び、次に左の手水舎で作法を学び、鐘楼で鐘を撞きます。
先に進むと左手に多宝塔、右手の池の先に大師堂があり、正面の最も奥に本堂があります。
本堂に向かって左に十三仏の最初の不動明王坐像が祀られ、その左に続く十二仏が立姿で並んでいます。

◆第一番札所    (四国88箇所お遍路さんがスタート)

四国88箇所のお遍路さんがこのお寺からスタートします。
「一番さん」とも呼ばれていて、お寺に隣接したところに「門前一番街」があります。
お遍路に必要なものをここで揃えます。
外国人のお遍路さんの姿も見られました。

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第2番札所 極楽寺

◆参拝日    2017/5/12    (曇り)

寺伝では、弘仁6年(815年)、空海がこの地を訪れ、37日間『阿弥陀経』を読誦したところ、結願の日に阿弥陀如来が出現し、それを刻んで本尊としたと伝えられています。
境内には、空海が自らの手で植えたと伝えられる樹齢1200年を超える大杉があります。
大杉は「長命杉」と呼ばれ、鳴門市の天然記念物に指定されています。
この大杉に触れると家内安全や病気平癒、長生きの御利益があると伝えられています。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

朱塗りの仁王門を入って右へ進むと右手に手水鉢があります。
この先を左に折れると、石段手前に仏足石がありその右手に一願水掛不動尊と観音堂があり、左に薬師堂その後に長命杉があります。
その石段を上り切ると正面に本堂があり、その右奥に大師堂があります。

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第3番札所 金泉寺

◆参拝日    2017/5/12    (曇り)

弘仁年間に弘法大師が四国を巡教しこの地を訪れた際、、村人たちが日照り続きによる水不足で苦しんでいのを見て井戸を掘られました。
黄金井の霊水が湧出したことから寺号を金泉寺としたといわれています。
「長寿をもたらす小金の井戸」とされ今も残っています。
のぞき込んだ人の姿がはっきり映れば長生きできるといわれています。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

朱塗りの山門を入り小さい橋を渡ると左手に手水鉢がありその後に鐘楼・慈母観音があります。
向かいに観音堂がありその前に修行大師像が立っています。
正面に本堂が建ちその左に護摩堂が、手前右手に大師堂があります。
大師堂の右奥に黄金の井戸と閻魔堂があります。

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第4番札所 大日寺

◆参拝日    2017/5/12    (曇り)

寺伝によれば弘仁6年(815年)、42歳の弘法大師がこの地に長く留まり修行していたとき、大日如来を感得したそうです。
一刀三礼(仏像を彫刻するときに、一刻みするごとに三度礼拝すること)をして55センチほどの大日如来像を彫造、これを本尊として創建したと伝えられています。
本尊より大日寺と号したと伝えられています。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

上層を鐘楼とした山門を入ると左手の池の先に手水鉢があり、正面奥に本堂が建てられています。
本堂右手にある回廊を、安置されている観音像を鑑賞しながら進むと大師堂の横に出ます。
納経所は大師堂の向かい側にあります。

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第5番札所 地蔵寺

◆参拝日    2017/5/12    (曇り)

寺伝によれば弘仁12年(821年)、嵯峨天皇の勅願により空海(弘法大師)が一寸8分(約5.5cm)の甲冑を身にまとい馬にまたがる姿をしていると云われる勝軍地蔵菩薩を自ら刻み、本尊として開創したと伝えられています。
「勝軍(しょうぐん)地蔵菩薩」は甲冑を身に着けて軍馬に乗った姿の地蔵菩薩のことで、勇ましいお姿が特徴です。
勝軍地蔵菩薩は悪者を退治して災いをはらってくれるといわれています。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

仁王門を入ると、樹齢約800年の大銀杏を中心に、広い境内の左側に本堂、不動堂、八角堂、右側に大師堂、万病を封じる神として知られる淡島堂、正面に本坊の諸堂が並んでいます。
また、本堂と並んで商売繁盛の「えびす堂」と先祖供養の地蔵尊があります。
地蔵尊の石仏の下には、水滴と瀬戸物の筒を利用した水琴窟があり、願いを書いた経木に水を掛けます。
ここで、耳をすますと「ピーン」という神秘的な音色が聞こえてきます。
さらに、奥ノ院の「五百羅漢堂」を有し、地元の人々からは「羅漢さん」と呼ばれています。

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第6番札所 安楽寺

◆参拝日    2017/5/12    (曇り)

安楽寺(あんらくじ)は高野山真言宗の寺院です。
温泉山(おんせんざん)瑠璃光院(るりこういん)と号します。
本尊は薬師如来です。
大師堂前から湧き出る宿坊の温泉とラジウム鉱泉入りの薬湯も有名です。
400年の歴史を誇る宿坊にも天然温泉とラジウム鉱泉入りの薬湯の大浴場が備えられ(宿泊者のみ入浴可能)、お遍路さんにも好評だそうです。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

竜宮門型の鐘楼門をくぐると右に手水鉢が置かれ、左側には回遊式日本庭園があって、池の奥に多宝塔が見えます。
正面奥に本堂が建ち、その右手に大師堂、左側に観音堂があります。
本堂付近に修行大師像と願い棒が、多宝塔の近くには大師伝説で有名な「厄除けのさか松」があります。

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第7番札所 十楽寺

◆参拝日    2017/5/12    (曇り)

寺伝によれば、空海(弘法大師)がこの地に逗留した際に阿弥陀如来を感得し、楠にその像を刻み本尊として祀ったとされます。
その際に、空海は人間の持つ八苦(生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦)を離れ、極楽浄土に往生すると受けられる十の光明に輝く楽しみ(聖衆来迎楽、蓮華初会楽、身相神通楽、五妙境界楽、快楽無退楽、引接結縁楽、聖衆倶会楽、見仏聞法楽、髄心供仏楽、増進仏道楽)が得られるようにと山号・寺号を「光明山十楽寺」としたとのことです。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

竜宮門形式の山門を入ると前に水子地蔵が並んでいる。左側の石段を数段上ると遍照殿の額がかけられた中門がありその上層は愛染堂となっている。中門の向かいに手水鉢があり左に奥へ入ると本堂が、さらに左へ行くと治眼疾目救歳地蔵の小堂があって、その先の石段を上ると大師堂がある。本堂の向かいのあたりに十三不動明王像がある。納経所は中門を背にして右にある。

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第8番札所 熊谷寺

◆参拝日    2017/5/12    (曇り)

寺伝によれば、815年(弘仁6年)空海(弘法大師)がこの付近で修行をしていた際、熊野権現が現れて1寸8分 (約5.5cm) の金の観音像を授けました。
そこで堂宇を建立し、一刀三礼して霊木に等身大の千手観世音菩薩を刻んでその胎内に授けられた観音像を収めて本尊としたということです。
1927年(昭和2年)火災により本堂とともに空海作と伝えられていた本尊も焼失しました。
本堂は1940年(昭和15年)に再建が開始されましたが戦争により中断、1971年(昭和46年)に全容が完成し、新造された本尊が開眼しました。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

山門をくぐって50mほど進み公道を横断すると右手に弁天池が左手には寺務所があります。
駐車場の先から左手に上がっていくと参道の左側に多宝塔が建っています。
参道を進むと中門に至り。
石段を上ると右側に手水場があり、正面に本堂があります。
本堂手前の左手に鐘楼があり、本堂左手の石段を上ると大師堂があります。

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第9番札所 法輪寺

◆参拝日    2018/4/11    (晴れ)

法輪寺は広い田畑の中に囲まれていることから「田中の法輪さん」と呼ばれています。
昔、お遍路をしていた足が不自由な方が法輪寺の境内に入ると不思議と足が軽くなり、杖なしで歩けるようになったという伝承があります。
それ以降、法輪寺は健脚祈願のお寺として信仰されています。
御本尊は四国霊場で唯一の涅槃釈迦如来、寺宝として弘法大師の御衣を所有しています。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

山門を入ると左側に手水場があります。
最も奥に本堂が建ち、本堂の右に大師堂があります。
本堂に向かって左側に参拝者休憩所、納経所等がありその休憩所の左手に鐘楼があります。

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第10番札所 切幡寺

◆参拝日    2018/4/11    (晴れ)

寺伝によれば、修行中の空海(弘法大師)が、着物がほころびた僧衣を繕うため機織の娘に継ぎ布を求めたところ、娘は織りかけの布を惜しげもなく切りさいて差し出した。
これに感激した空海が娘の願いを聞くと、父母の供養のため千手観音を彫ってほしいとのことであった。
そこで、その場で千手観世音菩薩像を刻んで娘を得度させ、灌頂を授けたところ、娘はたちまち即身成仏して千手観音の姿になったという。
空海の彫った千手観音を南向きに、娘が即身成仏した千手観音を北向きに安置し本尊として開基したという。
山号や寺号は機織娘の故事にちなんでいる。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がこの地で自らの厄祓いと衆生の安寧を願い、薬師如来像を刻んで堂宇を建立、山へ2町入ったところの八畳岩に金剛不壊といわれる護摩壇を築き一七日(7日間)の修法を行ったのが開創であると伝えられる。このとき空海が堂宇の前に藤を植えたことから藤井寺と号したという[1]。 以来、真言密教の道場として七堂伽藍を持つ寺に発展した。

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第11番札所 藤井寺

◆参拝日    2018/4/11    (晴れ)

弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がこの地で自らと衆生の厄を祓い、薬師如来像を刻んで堂宇を建立しました。
このとき空海が堂宇の前に藤を植えたことから藤井寺と号しました。


◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

山門を入ると右側に弘法大師お手植えと伝えられている藤の藤棚があり、その後に鐘楼があります。
参道は先で右に折れ左側に手水場、水掛け地蔵、不動堂、白龍弁財天堂が並び、最奥に本堂があります。
本堂手前右側に大師堂がある。納経所は手水場の向かいにあります。

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第12番札所 焼山寺

◆参拝日    2018/4/11    (晴れ)

徳島県神山町にある、焼山寺山の険しい山中にあり「遍路ころがし」と呼ばれる6ヶ所ある難所の一つでしたが、現在は山上まで自動車道が開通しています。
杉木立に囲まれた山門の標高は800m。修験道の開祖・役小角(役の行者)が焼山寺山に庵を結び蔵王権現を祀ったのが創始という古刹です。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

参道より石段を上ると山門があり、入っていく左手に手水場、右手に鐘楼があり正面に本堂があります。
本堂右手に2008年に落慶した大師堂があります。
本堂左手に三面大黒堂が、大師堂の右手に十二社神社があります。
納経所は山門を背にして左側、その奥には茶堂があります。
本尊(下記)と大師像(下記)は、本堂裏の斜面上にある収蔵庫に収められていて、本堂と大師堂にはそれぞれの前仏です。

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第13番札所 大日寺

◆参拝日    2018/4/11    (晴れ)
弘法大師が護摩修法をしていた際に大日如来のお告げを受け、それに従い堂宇を建立、大日如来像を彫像し本尊として安置し、霊場に定めたとされています。
境内は老樹に覆われ神秘的な雰囲気を漂わせています。
境内の樹齢100年を超える巨木の側には、参拝者の幸せを願う「しあわせ観音」があります。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

県道に面した山門を入ると向かいに、しあわせ観音が見えます。
しあわせ観音を背にして右手に手水場があり、左に大師堂があります。
右奥に入っていくと大師堂と向き合う形で本堂があり、その左手に地蔵堂があります。
納経所はしあわせ観音の後にあります。

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第14番札所 常楽寺

◆参拝日    2018/4/11    (晴れ)

寺伝によれば、空海(弘法大師)がこの地で修行をしていた際に、弥勒菩薩が多くの菩薩を連れた姿を感得しました。
そこで霊木に弥勒菩薩を刻み堂宇を建立して本尊として安置しました。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

山門はなく石柱門を通って50段の石段を上ると起伏のある流水岩の境内に入ります。
左手に手水場があり、その奥に鐘楼があります。
一番奥に本堂が建ち、その手前右側に大師堂があります。
本堂と大師堂の間にアララギの巨木があって、その木の俣にはちいさな大師像が安置されています。
納経所は石段を背にして右手にあります。

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第15番札所 国分寺

◆参拝日    2018/4/11    (晴れ)

天平13年(741年)、聖武天皇が発した国分寺建立の詔により諸国に建てられた国分寺の一つです。
寺伝では行基が自ら薬師如来を刻んで開基し、聖武天皇から釈迦如来像と大般若経、光明皇后の位牌厨子が納められたと伝わっています。
当初は法相宗の寺院として七堂伽藍を有する大寺院であった。
弘仁年間(810 - 824年)に空海(弘法大師)が巡錫した際に真言宗に改宗したとされます。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

単層の山門を入ると右手に手水場が、左手には地蔵堂、七重塔礎石、鐘楼堂と並び、正面奥に本堂があります。
本堂の手前右に大師堂があり、烏瑟沙摩明王堂はその横にあります。
納経所は境内の右手奥にあり、庭園の入口は納経所の左にあります。

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第16番札所 観音寺

◆参拝日    2018/4/11    (晴れ)

寺伝によれば、聖武天皇が国分寺建立の勅命を出した際に行基に命じて勅願道場として本寺を建立、弘仁7年(816年)に空海が巡錫した際に本尊として千手観音像、脇侍に不動明王と毘沙門天を刻んで安置、現在の寺名に改めたとされます。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

道路に面した山門を入ると左手に手水場が、左に夜鳴き地蔵尊があり、正面奥に本堂があります。
本堂前に水子地蔵尊、仏足石、修行大師像があります。
本堂手前右手に大師堂があり、納経所は境内左奥にあります。

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第17番札所 井戸寺

◆参拝日    2019/9/3    (晴れ)

寺伝によれば、阿波の国司に隣接し天武天皇が勅願道場として673年に創建し、七堂伽藍、末寺12坊を誇る壮大な寺院となり「妙照寺」と称していました。
本尊は薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏薬師如来で聖徳太子作、また、日光菩薩、月光菩薩は行基作と伝えられます。
伝承ではその後、弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)が来錫、十一面観世音菩薩を刻んで安置しました。
また、その際に土地の人々が水不足で困っていることを知り、錫杖で一夜にして井戸を掘ったそうです。
そこでこの地を井戸村と呼ぶようにし、寺号も「井戸寺」と改めたといいます。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

仁王門を入ると左に手水場があり正面奥に本堂が建っています。
手前右側に大師堂があり、左には日限大師堂とその中に面影の井戸があります。
横に鐘楼があって、納経所は日限大師堂の左奥の庫裡にあり、大日堂はその左側にあります。

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第18番札所 恩山寺

◆参拝日    2019/9/3    (晴れ)

寺伝によれば聖武天皇の勅願により行基が開基し、当初は「大日山福生院密厳寺」と号する女人禁制の道場で、「花折り坂」より上は女性の立ち入りが許されなかった。
弘仁5年(814年)、空海(弘法大師)が本寺で修行していた際、訪問してきた母(玉依御前)のために、仁王門の辺りに護摩壇を築き17日間の修法を行い女人解禁を成就し、母を迎え入れました。
玉依御前は本寺で出家・剃髪しその髪を奉納したことから、「玉依御前の剃髪所」と云われていて空海が自身の像を刻み現在の寺名に改めたとされます(母養山 恩山寺)。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

赤い橋を渡って右に山門があり、正面に毘欄樹が茂っています。
遍路道はその左の坂道を登って行くと大きな修行大師像の立つところに出ます。
車は左上方へ上がると駐車場に出てそこから坂道を5分ほど歩いて上がると大きな修行大師像の前に出ます。
左手の数段の石段を上ると境内に入り、直進すると右手に手水場があり石段をさらに上り詰めた所に本堂があります。
手水場手前まで戻って本堂を背にして右手先に大師堂が、その手前に御母公堂があります。
納経所は大師堂と反対側の客殿の左にあります。

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第19番札所 立江寺

◆参拝日    2019/9/3    (晴れ)

寺伝によれば、聖武天皇の勅願寺として、行基が光明皇后の安産を祈願し一寸八分 (5.5cm) の金の子安の地蔵菩薩を刻み「延命地蔵菩薩」と名付けて本尊として開基したとされます。
空海(弘法大師)が訪れた際、小さい本尊は失われる恐れがあるとして、一刀三礼して等身大の地蔵菩薩を刻み、本尊を胎内に収めたといい、このときに寺名が立江寺と改められたと伝えられています。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

山門を入ると左に鐘楼が、右には毘沙門堂があり隣に手水場があります。
その先左側に本堂が建ち、本堂左に観音堂があります。
本堂を背にして境内の南に進むと右に多宝塔、左に神変堂があって奥に大師堂があり、大師堂の右に黒髪堂があります。
納経所は山門の正面奥の右側です。

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第20番札所 鶴林寺

◆参拝日    2019/9/3    (晴れ)

寺伝によれば、延暦17年(798年)に桓武天皇の勅願によって空海(弘法大師)が開創。
寺伝によれば、空海がこの山で修行中に雌雄の白鶴が杉の梢で小さな金の地蔵菩薩像を守護していました。
空海はそれを見て、霊木に3尺(約90cm)の地蔵菩薩を刻み、その胎内に鶴が守っていた1寸8分の地蔵像を納めて本尊として鶴林寺の寺名を定めました。
境内の雰囲気が釈迦が説法をした霊鷲山に似ていることから山号にいただいたといわれています。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

山門を入って参道を進むと右手に六角堂があり、さらに進むと左手に手水鉢があり右に70段の石段があります。
石段下の右手に忠霊殿、左手に護摩堂と大師堂がありさらに先に納経所がある。さきほどの石段を上り詰めると本堂が建ち、本堂の左裏に、弘法大師御開創遺跡御本尊降臨之杉がそびえています。
本堂の右の一段上に三重塔があり、その右上に鎮守堂、そこから左に上がって行くと本堂の真裏上に元は七福神を祀っていた小堂、さらに上がって本堂の左上に抜けると境内の一番高い所に聖天堂があります。

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第21番札所 太龍寺

◆参拝日    2019/9/3    (晴れ)

「西の高野」とも称される。四国山脈の東南端、標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにあります。
弘法大師が19歳のころ、この深奥の境内から南西約600メートルの「舎心嶽」という岩上で、100日間の虚空蔵求聞持法を修行されたといわれています。
延暦12年、桓武天皇(在位781〜86)の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ諸尊を造像して安置し、開創しました。
山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいます。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

山門から長い参道を進むと右側に六角経蔵、護摩堂、持仏堂(本坊)、納経所があり、この先の石段を上って行きます。
石段の途中に鐘楼門が設けられています。
上り詰めて左に進むと奥に本堂が建ち、その左後ろに求聞持堂があります。
本堂とは逆の右に進むと橋を渡った先に大師堂拝殿があります。
履物を脱いで拝殿回廊を回り込んで拝殿裏に行くと大師堂奥殿があり、多宝塔は本堂と大師堂の間の丘の上に立っています。

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第22番札所 平等寺

◆参拝日    2019/9/3    (晴れ)

寺伝によれば、空海がこの地で厄除け祈願をすると五色の雲がわき金剛界大日如来の梵字が金色に現れました。
さらに、その端相に加持すると薬師如来像が浮かび上がったので、錫杖でその場に井戸を掘ると乳白色の水が湧きました。
その水で身を清め百日間の修行をした後薬師如来を刻み、堂を建てて本尊として安置しました。
寺名は、この霊水により、人々の平等な幸せを願い、また、一切の衆生を平等に救済する祈りを込めて「平等寺」と称されたといいます。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

道路に面した13段の石段を上がって山門をくぐと、左に鐘楼があり、その先に大師堂、その横に小さな観音堂があります。
右には納経所があり、その先に手水場が、左に鏡の井戸と地蔵石像の祠があります。
正面に42段の男厄坂が左には緩やかな33段の女厄坂があり上り詰めると本堂があります。
本堂左のほうに護摩堂があります。

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第23番札所 薬王寺

◆参拝日    2019/9/3    (晴れ)

寺伝によれば、神亀3年(726年)に聖武天皇の勅願により行基が創建したといいます。
弘仁6年(815年)には平城上皇の勅命によって空海(弘法大師)が本尊として薬師如来を彫り再興しました。

◆風景や感じたこと    (境内や行事など)

単層の仁王門を入ると左手から石段が始まります。
33段の女厄坂の途中右手に鐘楼があり、石段が終わる絵馬堂を通って、上りきったところに本堂があります。
本堂から左に進むと大師堂があって、その向かいに十王堂と地蔵堂があります。
本堂の裏には肺大師があり、右手の還暦厄坂を上ると本寺の象徴と言ってもよい瑜祇塔が特異な姿を見せています。
瑜祇塔の階下は戒壇めぐりで薬師三尊が祀られ、1階は五智如来を祀っていて展示室にもなっています。

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