春ちゃんのひとりごと
歴史探訪

No.30    (北野天満宮)    2021/2/11

第59代、宇多天皇の時代には藤原北家嫡流から離れた人物でも重用されましたので菅原道真の朝政は遣唐使の停止、諸国への問民苦使の派遣など「寛平の治」と言われています。しかし、次の醍醐天皇の時代になると藤原北家が外戚となり、藤原時平が大納言、菅原道真が権大納言として朝政を牽引させましたが、この人事が権門の公家には不評で、公家たちが職務を拒む事件に発展しました。道真は宇多上皇に願い、ようやく新政がスタートしましたが、昌泰4年(901年)時平の讒言により大宰員外帥に左遷させられました。左遷から2年後に大宰府で亡くなり安楽寺に葬られました。(現在の大宰府天満宮)
その後、藤原菅根が病死し、藤原時平も39歳で病死しました。これらは後に道真の怨霊によるものだとされ、天暦元年(947年)北野社に祀られるようになりました。
一条天皇の時代には初めて勅祭が行われ「北野天満宮天神」の勅号が贈られました。天正15年(1587年)には豊臣秀吉によって北野大茶湯が催行されました。慶長10年(1605年)には豊臣秀頼が片桐旦元を奉行として北野経王堂を再建し、現在の壮麗な社殿が造営されました。
梅苑には白梅、紅梅、しだれ梅など50種類、約1500本の梅の木が植えられています。梅の開花期は1月上旬から3月下旬頃で、期間中は茶屋が設けられ梅茶とお菓子がいただけます。梅花祭は天満宮の祭神、菅原道真の祥月命日、2月25日に行われるのですが、今年はどうでしょう。


No.29    (亀岡の篠窯跡群)    2020/12/13

現在の京都亀岡市篠町(旧、丹波國口丹波)にかってあった篠窯跡群は奈良、平安時代に焼物を焼いていた窯が密集する地域として知られており、窯の総数は百数十基にも上ると推測されています。
この篠窯では須恵器と名付けられている青灰色で無釉の焼物や緑釉陶器と呼ばれている緑色の釉薬が施された高級な陶器や屋根に葺かれる瓦類等が焼かれていました。特に平安時代には日本を代表する焼物の産地となり、平安京をはじめ北は宮城県の多賀城、南は宮崎県の都城まで全国に供給されていました。
藤原道長が造営した法成寺には緑釉瓦が使用され篠窯の反映ぶりがうかがえます。
2004年の調査では篠窯北部域に位置する鵜の川北岸の大谷3号窯跡からは最古段階の緑釉陶器窯が確認されました。また、この時期の窯としては初めて三叉トチン(緑釉陶器などを重ねて焼く時に器同士がくっつくことを防ぐ道具)が出土し三叉トチンを用いる近江や東海等の技術工人の往来があったものと想定されます。
丹波の地は奈良時代から丹波国内への供給のため須恵器を作っており、平安京での需要が増えると丹波の篠窯は大きく発展を遂げていったものと思われます。しかし、平安時代を過ぎるとこの緑釉陶器はにわかに廃れました。原材料の不足(鉛の不足)、流行の変化、作り手が不足した等の理由が考えられています。また、近くには大枝という地域があり、古代より陶器に関わってきた土師氏の末裔大枝氏の居住地があり、桓武天皇の母親は大枝氏の出身でここ大枝に陵墓があります。京都より亀岡に通じる峠を「老ノ坂」と言いますが本来は「大枝ノ坂」だったものと思われます。


No.28    (下鴨神社ヘ…)    2020/10/28

7000年前の長江流域の河姆渡(かぼと)人は稲作起源の文化を持ち、豊作祈念として太陽崇拝、鳥崇拝の信仰を持ち(発掘された象牙に彫刻されている)また、出雲の雲南市、加茂岩倉遺跡からは、1996年に39口の銅鐸が発掘されました。これは長江下流域→出雲→山城国(京都)と人の移動があった証だと思われます。
弥生時代の日本列島に移動し、銅鐸を用いた祭祀を伝播させたのが加茂一族だと私考しています。
銅鐸は元来、中国では貴人の車を曳く馬の轡の付近に付けられたもので、その音が悪霊を祓うとされたのが起源と思います。
現在、賀茂御祖神社(下鴨神社)では儀式の始まりに銅鐸を鳴らします。この社の東殿には玉依媛(上賀茂神社の祭神、賀茂別雷命の母)、西殿には賀茂建角身命(玉依媛の父)が祀られています。
農耕の文化を持つ加茂一族が、天の恵みである雷神信仰と悪霊払いの銅鐸を神器とするのは当然の理でしょう。
この社に仕える神職に「鴨脚」という姓の人がいたと言われています。この姓の読み方は、鴨の足と銀杏が類似しているため、「イチョウ」と読みます。京の社にはいろいろ調べてみると興味深い答があります。


No.27    (竹の寺、地蔵院)    2020/8/24

過日、竹の寺として親しまれています地蔵院を訪れました。阪急上桂駅から真っ直ぐ西へ、上ノ山古墳を越えて北へつま先上がりの道を歩くと山門の前に出ます。
この地は鎌倉時代の歌人、藤原家良(衣笠家良)の山荘があったところで、応安元年(1368)室町幕府管領、細川頼之によって創建された臨済宗系の単立寺院です。
頼之は三河(愛知県)出身の武将、細川頼春の子で「観応の擾乱」において活躍し河野通盛の代りに伊予の守護に補任され、11歳の新将軍、足利義満を補佐し、「花の御所」造営などに関わり、政敵の斯波氏や山名氏との派閥抗争で失脚し、晩年この地に隠棲したと言われています。
また、一休宗純が6歳で安国寺に入るまで後小松天皇の落胤として、母とともにこの地で過ごしたとも言われています。(三ツ島=門真市に住んでいたとも言われている)
「竹の寺」と言われる所以は地蔵院の参道周辺が竹林に覆われていることからきていると思われます。松尾山の西域から大枝地区、長岡に渡る地域は竹林が多く春の時期に西大橋から西の方を見ると小高い台地が続き、萌葱色の竹林が目立ちます。古代は渡来人が住み着いた土地で、古墳もたくさんあります。松尾大社も秦氏が祭祀した社で、大山咋神(山の神)と中津島媛命(海の神)が祭られています。
地蔵院の中庭には椿の木が植えられ、小さい庭石と絶妙のバランスで落ち着きます。


No.26    (高瀬川を下る…)    2020/5/29

木屋町、押小路の北に高瀬川一之舟入があり、高瀬舟が繋留されています。
当時は二之舟入、三之舟入が設けられ、荷物の上げ下ろしや、舟の方向転換のために高瀬川から西に突き出すように造られていました。川沿いには曳子(舟曳人夫)が高瀬舟を人力で曳いて歩くための曳舟道が設けられていました。
今日はこの高瀬川を流れに沿って歩いてみました。
佐久間象三、大村益次郎遭難之地、加賀藩邸跡を下り、豊臣秀次、女御たちの墓がある瑞泉寺を下り、坂本龍馬が寝泊まりしていた場所を過ぎ土佐藩邸跡までは桜の 並木が続いています。角倉了以顕彰碑、日本映画発祥の地(現在ホテル建設中)を下りやっと四条通りに出ました。四条通りより下流域には「たん熊」、「田鶴」、 「鮒鶴」さんなどの店があります。五条通りを過ぎると、源氏物語の光源氏のモデルと言われている源融の河原院跡の碑があり、少し下がりますと、かって「七条新地」と呼ばれていた芸妓、娼妓が混在する花街があり、戦後は「赤線」として営業していて、売春防止法施行後「五条楽園」と名を変えた地区があります。
現在の高瀬川は東九条で鴨川に流入していますが、昭和10年(1935)に起きた鴨川大洪水の後、鴨川の河川改修の一環として河床掘削が行われ、鴨川の川底が2m程低くなり高瀬川が北から鴨川に流入する地点が十条付近まで移されました。鴨川と交差するところでは鴨川の中に杭を打ち高瀬舟を引っ張り渡したと言われています。
鴨川東ICの下をくぐりJR奈良線と京阪電車の間を下り伏見インクラインに出ます。これから近鉄京都線の下までは暗渠になっており、伏見の町中を経て宇治川(伏見港)へと流入しています。 澄みきった流れの脇には紫陽花が咲き始めていました。


No.25    (伏見港)    2020/5/9

桃川時代の文禄3年(1594)、豊臣秀吉は宇治川の治水、流路の変更を目的とし、前田利家に命じ、槇島堤、小倉堤の建設をはじめとする大規模な工事を行いました。
小倉堤の上に大和街道が新設され、大和街道と城下を直結する位置に豊後橋(現在の観月橋付近にあり、大友豊後守宗麟に命じ掛けさせたのでこの名がある)を設け、陸上と河川の交通を伏見城下に集中させました。
伏見には宇治川と濠川(ごうがわ・ほりかわ)を結ぶ形で港が設けられ交通の要所となり「三十石船」が伏見と大坂の間を往き来しました。
江戸時代には角倉了以、素庵父子が高瀬川を開削し京都と伏見が結ばれ港の役割はさらに増しました。幕府の伝馬所も置かれ、参勤交代の大名が宿営するための本陣や大名屋敷も置かれていました。
明治時代に琵琶湖疎水(鴨川運河)が開通すると、疎水とも接続した新な水運のルートが拓かれ、宇治川も新に開削され琵琶湖への大型船の就航が可能となり、日本初の電車「京都電気鉄道」伏見線が港と京都市内を結ぶために建設されました。
1929年、宇治川の堤防が整備されると宇治川と濠川に水位差ができましたので「三栖こう門」が新設されました。
今回は「中書島」の辺りを探訪しました。中書島の由来は脇坂安治がこの地に屋敷を建て住んでいて、文禄年間「中務少輔」に任官していました。中務少輔の唐名が「中書」であったため中書(ちゅうじょう)様と呼ばれており、その中書様の住む島と言うことで「中書島」と呼ばれるようになりました。
伏見城下にあった遊郭がこの地に移転され、花街でもあり、祇園をしのぐ程の名妓を輩出してきました。十石舟が面影をとどめていて酒蔵の四角い煙突、黒い板塀が新緑に映えていました。


No.24    (橋本宿)    2020/5/7

「お知らせ」と題しておりますが、今回から京都近郊の、いにしへの歴史を探訪致します。
今回は5/5に国宝、石清水八幡宮の西麓に位置し、江戸時代から続く大遊郭として栄え、当時の妓楼建築群が現在も残っている「橋本宿」を訪ねました。
映画『鬼龍院花子の生涯』のロケ地で、花子(夏目雅子)が遊郭に入るために石段を下りて来るシーンがあります。
また、京阪「橋本」駅の東口から10歩程のごく近くには浄土宗「西遊寺」があり、明智光秀と「天王山の戦い」(山崎の戦い)を繰り広げた羽柴秀吉がこの寺に立ち寄り茶を所望したところ、お湯だけが出されたので後世、湯澤山茶久蓮寺(湯たくさん茶くれん寺)とも呼ばれています。西遊寺の向かいには「橋本渡し舟場三丁」と彫られた石碑が建てられています。男山の西麓で、かって淀川の左岸に位置するこの地は1962年(昭和37)迄、対岸の山崎との間に渡し舟が運航されていました。
橋本は「京街道」の枚方宿と淀宿の間に設けられた間の宿で、往時は遊里として賑わいを見せていました。明治時代に京阪電車の開通と共に規模を拡大していき昭和初期の最盛期には80を超える遊郭が軒を連ね娼婦は400名を数えたとも言われています。戦後の売春防止法の成立後、スナックや飲み屋などに営業形態を変えた所もありますが橋本遊郭は旅館として営業する店が多かったそうです。
井原西鶴の『好色一代男』にも描かれ、『淀川三十石舟舟歌』にも歌われており江戸時代中期以降は全国的に有名な遊里だったようです。
夏目雅子が下りて来た石段を登ると正面に木津川、宇治川、桂川の背割堤があり、山崎の天王山が遠望できます。


No.23  (2月、3月の京都)  2020/2/4

・節分祭(吉田神社ほか) 2/3~4
・初午大祭 (伏見稲荷大社) 2/9
・五大力尊 (醍醐寺) 2/23
・梅花祭 (北野天満宮) 2/25
・雛祭りと人形展(京都国立博物館) 2/15~3/22
・京の冬の旅(各施設) 1/10~3/18
・ひいなまつり(市比売神社) 3/3
・涅槃会(泉涌寺) 3/14~16
・北野をどり(上七軒歌舞練場) 3/20~4/2
・はねず踊り(随心院) 3/29



No.22  (11月、12月の京都)  2019/11/8

◆  11月

・嵐山もみじ祭(渡月橋上流) 11/10
・祇園をどり(祇園会館) 11/1~10
・三十六歌仙展示(京都国立博物館) ~11/24

その他、神護寺、宝鏡寺、建仁寺、東福寺、金戒光明寺 永観堂、妙心寺、霊鑑寺、大徳寺、東寺、聖護院、相国寺 仁和寺ほか秋の特別公開中です。

◆  12月

・献茶祭(北野天満宮) 12/1
・終い弘法(東寺) 12/21
・終い天神(北野天満宮) 12/25
・をけら詣り(八坂神社) 12/31
・除夜の鐘(知恩院ほか) 12/31

秋の京都は、これから紅葉の時期に入り、海外からも沢山の観光の方々がみえます。
今日は平日でしたが、嵐山、祇園には大勢の人が溢れていました。


No.21  (9月、10月の京都)  2019/9/13

◆  9月

・八朔祭(松尾大社ほか) 1日 夏を無事に過ごせた事を神に感謝し秋の豊作を願う。
・重陽祭(車折神社、上賀茂神社ほか) 9日 神前に菊を供え、無病息災を祈る。
・中秋の名月(大覚寺、平野神社ほか) 13日 神前に月見団子などを供え、楽を湊し、名月を観賞する
・萩まつり(梨木神社) 21~23日 咲き乱れる萩の中、狂言、舞楽、弓術などが奉納される。

◆  10月

・瑞饋(ずいき)祭(北野天満宮) 1~5日
・粟田祭(粟田神社) 12~15日
・鞍馬の火祭(由岐神社) 22日
・時代祭(平安神宮) 22日
・もみじ祭(三千院) 28日~


No.20  (8月の京都) 2019/7/22

・北野七夕祭(北野天満宮)  8/3~18
・夏越神事(下鴨神社) 8/7
・壬生六斎念仏(壬生寺)  8/9
・六道参り(六道珍皇寺) 8/7~10
・三千院万灯会(三千院) 8/12
・五山送り火(市内各所)  8/16
・千灯供養(念仏寺) 8/23・24
・京の七夕(堀川ほか)  8/1~3

・嵐山の鵜飼は7/1~9/23
・宇治川の鵜飼は7/1~9/30です。
・鴨川の床(ゆか)は5/1~9/30
・貴船の川床(かわどこ)は5/1~9/30です。


No.19  (京のホタル)   2019/6/22

京都は郊外へ足を運べば蛍が見られます。
蛍は日没から活発に飛び8時過ぎ頃まで続きます。
じめじめした蒸し暑い無風の日に多く飛びます。
法然院の下、哲学の道ではゲンジボタルが飛んでいます。
上賀茂神社近くの明神川にもゲンジボタルが、宝ヶ池の南側のせせらぎにもホタルの乱舞が見られます。
郊外では八瀬(高野川)、大原、清滝、高尾などで見られます。
一番のおすすめは貴船です。鞍馬川と貴船川が合流する「蛍岩」周辺はジャストスポットです。
叡山電鉄「貴船口」を下車、徒歩5分で「蛍岩」に着きます。
ゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタル、オバボタルの乱舞が見事です。
源氏蛍は平家蛍より大きく、発光が強く、1回の発光時間が数秒間、平家蛍は1秒間に2回ぐらい点滅します。
姫蛍は平家蛍より一回り小さく、カタツムリ等の陸生貝を捕食し、森林内に生息します。
姫蛍は歯切れよく明滅します。


No.18   (京都 6〜7 月の行事)  2019/5/10

・貴船祭(貴船神社) 6/1
・祇園放生会(白川巽橋) 6/2
・田植祭(伏見稲荷) 6/10
・嵐山若鮎祭(嵐山中ノ島) 6/13
・青葉まつり(智積院) 6/15
・竹伐り会式(鞍馬寺) 6/20
・夏越祓(上賀茂神社ほか) 6/30

・祇園祭(八坂神社) 7/1~31
・七夕祭(地主神社ほか) 7/7
・御手洗祭(下鴨神社) 7/19~28
・御田祭(松尾大社) 7/21
・火渡り祭(狸谷山不動院) 7/28
・千日詣り(愛宕神社) 7/31

  鴨川納涼床は5/1〜9/30迄です。


No.17  (4月、5月の予定)  2019/4/13

4/10 平野神社      桜花祭
4/14 今宮神社      やすらい祭
4/14 醍醐寺       豊太閤花見行列
4/20 寂光院       大原女まつり
4/29 城南宮       曲水の宴
4/29 壬生寺       大念仏狂言

5/1 藤森神社      藤森祭
5/3 伏見稲荷大社    稲荷祭
5/5 今宮神社      今宮祭
5/12 松尾大社      還幸祭
5/15 上賀茂神社     やすらい祭
5/15 上賀茂、下鴨神社  葵祭
5/18 上御霊神社     御霊祭
5/19 梛ノ宮神社     神幸祭


No.16    (3月の京都)    2019/2/10

3/1〜4/3     春の人形展(宝鏡寺)
3/3             ひいなまつり(市比賣神社)
3/8~3/17     東山花灯籠(東山地域)
3/14           涅槃会(東福寺、泉涌寺ほか)
3/25~4/7    北野をどり(上七軒歌舞練場)
3/31           観梅&はねず踊り(随心院)

山科の真言宗、善通寺派の『随心院』は、かって小野小町の邸跡と言われています。
小野梅園では「はねず梅」と呼ばれる薄紅色の遅咲きの紅梅が咲き誇ります。
3月の最終日曜日「はねず踊り」の観賞はいかがでしょうか。


No.15    (2月の京都)    2019/1/22

2/2           初午大祭    (伏見稲荷大社)
2/2〜4      節分祭    (吉田神社ほか)
2/23         五大力尊仁王会  (醍醐寺)
2/25         梅花祭         (北野天満宮)
1/22〜3/3 京の冬の旅        (各施設) 

2月の京都は、わりと空いています。
私のオススメ の観光スポットは梅園のある北野天満宮や、山縣有朋の別邸で、七代目、小川治兵衛作庭の無鄰菴、旧三井家下鴨別邸です。
大正ガラスの暖かさが心を和ませてくれます。 是非、この時季にお出かけ下さい。


No.14    (護王神社に亥が…)    2018/12/19

2019年の干支は「亥」です。京都御苑の西に鎮座します護王神社は和気清麻呂を御祭神としています。
神護景雲3年(769年) 宇佐八幡の神官、中臣習宣阿會麻呂が宇佐八幡神の神託として称徳天皇が寵愛していた道鏡を皇位に就ければ天下泰平になると奏上しました。
称徳天皇は神託を確認するために側近の尼僧、和気広虫に命じましたが虚弱な広虫では長旅に耐えられないため、代りに弟の清麻呂に命じました。
清麻呂が九州の宇佐八幡へ向かう途中、刺客に襲われた折に、どこからともなく現れた300頭のイノシシに難を救われました。
という故事に因み、この神社ではイノシシが祀られています。
2019年1月11日〜14日まで、境内を本物のイノシシが散歩します。
モモちゃんとカリンちゃんです。
彼女達に会いたい方は前記の日にお出かけ下さい。


No.13    (京の年末、年始)    2018/12/6

12/7        千本釈迦堂の大根焚き
12/8 ~17  嵐山花灯路
12/14      山科義士まつり
12/21      終い弘法(東寺)
12/25      終い天神(北野天満宮) 
12/31      をけら詣り(八坂神社)
12/31      知恩院除夜の鐘
1/3         かるた始め式(八坂神社)
1/4         蹴鞠初め (下鴨神社)


No.12    (“永観おそし")   2018/11/12

「奥山の岩垣紅葉散りぬべし、照る日 の光見る時なくて」この歌は永観堂(禅 林寺)を創建された弘法大師の弟子、真 紹僧都の徳を慕って自分の別荘を寄進 した藤原関雄の詠んだ歌です。
永観堂の歴史は、真紹僧都から永観律 師までの220年は真言密教の寺院とし て発展し、その後140年、静遍僧都ま では、三論宗系の浄土寺院でした。
その後、浄音上人の時、浄土宗西山派 の寺院となり、今日、禅林寺派の根本 道場として法灯を掲げています。
古来より「紅葉の永観堂」と言われて、京都屈指の紅葉の名所 です。
約3000本のイロハモミジやオオモミジが池泉回遊式庭園 を彩り、多宝塔や御影堂を飾ります。
ライトアップは、11/3~12/2で17:30~21:00(受付終了は20:30) 「みな人を渡さんと思う心こそ極楽にゆくしるべなり」                          千載集


No.11     (正倉院展)    2018/10/27

平成最後の正倉院展は今年で70回目を 迎えます。
開催期間は10/27~11/12で す。
奈良国立博物館で開催されていま す。
北倉10件、中倉16件、南倉27件、 聖語蔵3件の、合わせて56件の宝物が 出陳されていて、その内、10件は初出陳です。
聖武天皇、光明皇后ゆかりの宝物が納められている北倉からはヤコウ貝や琥珀、トルコ石を使った豪華な鏡(平螺鈿背八角鏡)や高貴な女性の履物(繍線鞋)などが出陳されています。
仏様へのお供えを入れた箱(玳瑁螺鈿八角箱)は黄色と黒の 部分は海ガメの一種、玳瑁(たいまい)の甲羅を箱全体に貼 っています。
また貝殻を薄く切ってはめ込む螺鈿の技法で 花や鳥の模様を鮮やかに表現しています。 正倉院の「正倉」とは元来、「正税を収める倉」の意で、各地から上納された米穀や調布などを保管する倉であった と思われます。


No.10    (秋の特別展示)

東寺        9/20~11/25
聖護院     9/15~11/25
相国寺     9/25~12/15
銀閣寺    10/1 ~12/2
清凉寺    10/1 ~11/30
大徳寺    10/5 ~10/28
仁和寺    10/13~12/6
醍醐寺    10/15~12/10
高台寺    10/19~12/19




No.9    (火祭が中止に)     2018/10/1   

鞍馬の由岐(ゆき)神社は靭(ゆぎ)の御霊を奉祀する社で、靭は矢立のことです。
都で、大地震や平将門の乱、藤原純 友の乱などが起きた折りに朱雀天皇 が都の北方(鬼門の方角)にこの社を奉祀しました。
「鞍馬の火祭」はその時に里人が篝火を持って神霊を迎えたことに由来 します。毎年、時代祭と同じ日(10/ 22)の夜に行われていましたが、21号台風のため境内や氏子地区で、倒木や家屋倒壊などの被害があり、叡山電鉄の復旧が見込めないこともあり中止となりました。
中止は1988年昭和天皇の病気で自粛して以来30年ぶりです。


No.8     (名刀&散り椿)    2018/9/27

9/29〜11/25まで京都国立博物館で 「京の刀」展をやっています。
京都では平安時代から現代に至るまで 多くの刀工が工房を構え、多くの名刀 を産み出してきました。
京で鍛えられた刀劍は日本刀の最上位 の格式を誇り、公家、武家を問わず珍 重され、江戸時代以降は大名間の贈答 品として取り扱われました。
現存する山城系鍛治作品の中で国宝指 定作品のほぼ全てが展示されます。
葉室麟原作の「散り椿」が9/28から各地の映画館で 上映されます。
藩を追われた主人公の新兵衛が身を 隠していた地蔵院は京都に実在するお寺で、前庭の五色八重散椿が由来となり、作中で新兵衛が自分を 散った椿に例える場面も登場します。


No.7     (斎宮 「いつきのみや」)    2018/9/5

『日本書記』の崇神天皇紀によれば、崇神天皇が皇女豊鍬入媛に宮中に祀られていた天照大神を大和国の笠縫邑に祀らせたとあり、これが斎宮(いつきのみや )の始まりとされますが、実際には天武天皇の時代に、正式に制度として確立しました。
『壬申の乱』の戦勝祈願の礼と して、磯宮(いそのみや)の地に 伊勢神宮を建立し、自らの皇女 大来皇女(大伯皇女)を捧げたのです。
大来皇女は、大津皇子の姉で、大津皇子が、皇位継承の混乱で自害する以前に次の歌を残しています 『わが背子を大和へ遣るとさ夜深けて暁露にわが立ち濡れし』 大津皇子は、早くに母を亡くして、頼みとする姉は伊勢の斎宮として捧げられていました。
この歌は姉のいる神宮へ会いに行った時に作られた歌だと 言われています。


No.6    (京都10月のお祭り)

9/29〜10/7     御香宮神幸祭(御香宮)
10/1〜10/5     瑞饋祭(北野天満宮)
10/6〜10/8     粟田祭(粟田神社)
10/9〜10/21   大陶器市(清水焼団地)
10/21              斎宮行列(野宮神社)
10/22              時代祭(平安神宮)
10/22              鞍馬の火祭(由岐神社)






No.5    (時代祭)

10月22日は時代祭です。 平安神宮のお祭りで、京都御苑 から平安神宮までの行列です。
明治28年に平安神宮が創建され それ以来続けられています。
山国隊を先頭に約2000名の行列 です。
出演者は各学区の人達が協力し ています。
綺麗所は京都の花街 の芸妓さん達です。
私のオススメは皇女和宮と巴御 前(女武者)です。






No.4    (重陽の節句:車折神社)
9月9日は重陽の節句です。

陽数の極みの9が重なる重陽で 菊の節句とも言われています。
平安時代の貴族の習慣では重陽 の日の早朝、菊花に真綿を被せ 朝露を含んだ真綿で体を拭き、 無病息災を祈願しました。
(きせ綿) また、室町時代には 菊を浸した酒を飲むことも行わ れていました。
京都の車折神社では菊花を神前 に供え、重陽祭の舞楽が奉納さ れます。
また、見学者に菊酒が 振る舞われます。



No.3 (京都9月の行事)

9/1        八朔祭(松尾大社)
9/9        重陽祭(車折神社)
9/15      石清水祭(石清水神社) 
9/24      櫛まつり(安井金比羅宮)

京都の主な行事を紹介致しました。 ほかにも色々ありますので、過ごし やすくなった京都をぜひ散策して見 ませんか。







No.2 (「五山送り火」の起源)

8月16日は「京都五山送り火」 です。
送り火の起源については 諸説がありますが、検証してみ ました。
平安時代後期の源氏物語、枕草子などには「賀茂祭」のことは 書かれていますが、「送り火」 のことは一切書かれていません また一条教房が応仁の乱を避け て、土佐国幡多荘(四万十市)に 下向しましたが、その折に正室 の宜司殿に請われ、「大文字」 をこの地で具現しました。
以上のことより、応仁の乱以前 からあったということです。
私見では、足利義満が始め、義 政がそれを踏襲したしたのだと 思います。 人形(ひとがた)=人が手を広げた 形=「大」だったものを、それを 見た人々が「大文字」と言い、 それが世間に流布したものだと 思います。


No.1 (ウナギにも帰巣本能が!)

日本ウナギはマリアナ諸島西方海域に産卵場を持ち、東アジア の沿岸で成長する降河回遊魚です。
最近琵琶湖のウナギは天ヶ 瀬ダムがあるので遡上できない と言われていますが、琵琶湖ウ ナギが遡上できるルートを見つ けました。
マリアナ諸島の西方海域から、 北赤道海流にのりフィリピン沖 へ→時速7.4kmの黒潮(日本海流 )にのり紀伊水道から大阪湾へ→ 淀川をのぼり宇治川へ→天ヶ瀬 ダムの下流域から北へ入り、喜 撰山の谷を通り喜撰山ダムへ( 途中は地中を通る)→喜撰山ダム から瀬田川へ(途中は地中を通る )→瀬田川を遡上し琵琶湖へ。
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